スマ長老の著作を読んで
古代インドにおいては、ごく一部の思想家を除いて、霊魂不滅説と輪廻転生説とが説かれ、それが信じられていたと思う。 原始仏教経典が書かれた時代に、多くの仏教徒たちは、人が死んだ後の生まれ変わりをどのように考えていたのだろうか? これに関して、パーリ語のサンユッタ・ニカーヤ(相応部経典)の中に、興味深い記述がある。...
View Article原始仏教と人間の欲について
原始仏教聖典では、修行者に対して、欲は滅すべきものである、と説かれている。 原始仏教では、一体どうして、欲は滅すべきものである、と説かれるのだろうか? 原始仏教とは、意図する理由もなく、盲目的に禁欲主義に徹することそれ自体を究極の目的とするものなのであろうか? 多くの非仏教者は、おそらくは、それらのことについて疑問を抱く違いない。...
View Article第17章 注目の教典
初期仏教の中でも、特に比較的新しい層の経典の中には、「三明」(宿命通・天眼通・漏尽通)というものが記されている。 「三明」(三種の明知)とは、過去世を見通す能力を含めた超能力であり、少なくとも後代の仏教徒の中には、悟った人には、そういった能力が備わっていたと考えていた人たちがいたのだろう。...
View Article第18章 アショーカ王による「破僧の定義」の変更について
原始仏教聖典(パーリ・ニカーヤ)の中には、待機説法という言葉では到底説明がつかないような真逆の教えが経典内に混在している。...
View Articleブッダが説かなかったこと
苦を終滅させるために最も重要なことの一つを話しましょう。 それは、正覚に導くために「ブッダが説いたこと」と「ブッダが説かなかったこと」の違いとその何たるかを明確に知ることです。 「ブッダが説いたこと」、つまり苦が滅尽した涅槃寂静の境地を今ここに具現させるための方法は、実はアッタカ・ヴァッガとパーラーヤナ・ヴァッガという経典の中にすべて語られています。...
View Articleブッダの根本とは
釈迦仏教において、苦の終滅(=涅槃寂静の体現)のために最も重要なことは何でしょうか? それは、他者との対立や争いを回避することだと思います。 なぜなら、人の苦しみの大部分は、他者との関係によって生じるものであり、人は、他者との関係を完全に断ち切って生きていくことは難しいと思うからです。 この原因が何なのかが本当にはっきりと分かったなら、他者との対立や争いはなくなるだろうと思います。...
View Article釈尊には説くべき見解は何もない
今日はブッダの涅槃寂静の境地についてその核心に触れる部分をできるだけ簡単な言葉で話してみようと思います。 まず最初に、ブッダの理法について最も重要なことを言います。 ブッダの究極の境地には、実は、仏教という見解はありません。 もちろん、そこには仏教哲学や宗教的ドグマもありません。 仏教と称した「これのみが絶対に正しいという見解」もありません。...
View Article悟りと死後の行方(ブッダの究極の境地)
涅槃寂静の境地に至った沈黙の聖者たるブッダ(釈尊)は、自らが死んだ後、どのようになると捉えていたのでしょうか? 本ブログ第15章の中で既に詳しく述べたように、仏教最古の経典パーラーヤナ・ヴァッガの中に、これらの問いに対してブッダの明確なる解答が語られています。 バラモンの尊者ウパシーヴァは、ブッダに次のような質問しました。...
View Article改正版『般若心経』ブッダの言葉
観世音菩薩という真理(ダルマ)を探求する一人の男がゴータマ・ブッダ(釈尊)の元を尋ねて来た。観世音菩薩は見るからに慇懃(いんぎん)な顔つきをしていた。しかし彼は安らぎに満たされたブッダの穏やかな表情を見て非常に驚いた。 観世音菩薩はゴータマ・ブッダに言った。...
View Article