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Channel: 釈迦仏教の根本思想について
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「悟りの階梯」について

  中村元氏は、修行者の進むべき「悟りの階梯」に関して興味深いことを言っている。引用者の主観が入らないように、そっくりそのまま引用してみようと思う。(以下 引用)...

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『パラマッタ・ジョーティカー』

  少し前に、ブッダゴーサの『パラマッタ・ジョーティカー』を読んだ。本書を読んだ感想を言えば、ブッダゴーサという人は、かなりの神秘主義者であるという印象を受けた。『パラマッタ・ジョーティカー』とはブッダゴーサによる『スッタ・ニパータ』の解説本である。『スッタ・ニパータ』に極度の神学的神話的解釈を加えれば、こうなるのかと思った。神秘主義に共感する人にとっては、たまらないだろう。...

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第11章 部分的真理について

    中村元氏は、仏教を語る際に「部分的真理」という言葉を強調する。  「部分的真理」とは、他説(他宗教や他思想、あるいは他者の主張)の中にも部分的に真理が存在し、それを承認する、という寛容の精神をもった立場である。  中村元氏によれば、「諸思想は部分的に真理を伝えているという主張はおのずから寛容の態度を成立せしめる」というのである。(『中村元選集・第18巻』P.178)...

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第15章 史実としての釈尊について

    仏教最古の経典『スッタ・ニパータ』よりもさらに古い資料を含むと言われているジャイナ教の聖典『イシバーシャーイム』(聖仙のことば)の中には、サーリプッタとマハーカッサバなどがブッダとして紹介され、サーリプッタが仏教の代表者であるとされている。そこには、なぜかゴータマ・ブッダの名前が全く登場してこない。これは一体どういうことなのか?...

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「アーサヴァの滅」について

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第8章 無我について

 仏教で説かれる「無我」(非我)の「我」とは、先の章(第7章・アートマンについて)で述べたように、人間の本体として想定される、「形而上学的な意味合いでのアートマン」として捉えることが可能であろう。  ところが、それにもまして重要なことは、最古層の経典において、「無我」(非我)の「我」とは、「私」と「私のもの」という意味として説かれている、ということである。...

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第13章 釈迦時代の仏教について

  私は、初めて初期経典を読んだときに、それらの経典の大部分は、キリスト教やイスラム教の聖典などと比較して、経典によって、数多くの矛盾する内容を含み、さらには、同じ経であっても、前半部と後半部とに真逆のことが説かれたり、全くと言っていいほど一貫性に欠けていることに対して、とても愕然としたことを、今でもよく覚えている。...

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第10章 「異説の徒」について

       『長部経典』の第一経である「梵網経」(聖なる網の教え)の中には、当時、釈迦の存命中に説かれていたという62の見解が列挙され、その62見によっては正覚や涅槃に導くものではなく、それらをことごとく排しながらも、『梵天も、私たちも、光音天で死去し、ブラフマ神殿に生まれ変わった存在である』というバラモン教の世界観を彷彿させるような第63番目の仏教独自の形而上学的見解が述べられている。...

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インドに行って来ました!

   インドに行って、昨日帰ってきました。  行く前に想像していたイメージとは、やはりかなり違っていた。 と言うよりは、6月のインドは暑すぎる。はっきり言って、あの暑さは日本の感覚からして尋常ではない。日中は40℃を超えて、こまめな水分補給なしにはバテてしまう。(以前、一年のうちで最も暑い時期に行ったタイよりもはるかに暑かった。)ちなみにインド滞在中は、雨は一度も降らなかった。...

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第7章 アートマンについて

  ゴータマ・ブッダは、ジャイナ教の実質的な教祖であるマハーヴィーラと同様に、宇宙の根源たるブラフマンの存在を想定せず、それを排斥したと言われている。  ところが、仏教とジャイナ教がとった手法の最大なる相違とは、ジャイナ教が永久不変なるアートマンを想定していたのに対して、仏教は、宇宙の本体たるブラフマンの存在と同様な仕方で、永久不変的なアートマンの存在を想定しなかった点にあると言ってよい。...

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第12章 信念の確実性と根拠について

  古代インドに伝わるウパニシャッドの伝承によれば、人間の本体である永久不滅なるアートマンと宇宙の根源たるブラフマンとは本来同一のものであると言われている。...

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第16章 他者への愚痴と謗りについて

  人間においての意識とは、大まかに言えば、他者に対する意識と自己に対する意識とがあると思う。  フランスの哲学者ジャン・ポール・サルトルは、前者を対他的存在、後者を対自的存在と呼んだ。  そもそも、人間においての苦しみの大部分は、他者に対する意識に起因するものであり、そして、その他者に対する意識は、元を辿れば、己自身に、その問題の解決をひも解く根源的な要因がある、ということが明らかになるのである。...

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第17章 他者への忠告について

   私は、本稿において、最初期の仏教で何が説かれていたのか、ということについて、その詳細を述べてきたわけであるが、実は「ブッダの言葉」の核心とは、ただ次の一つの言葉によて要約できると私は思っている。  つまり、ブッダの「言葉」の核心とは、「自分が正しいと思わない」ということ、ただこの言葉の一言に尽きると思う。...

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第18章 仏教最古の経典について

  ここまで読んだ読者の中には、次のように思う人がいるに違いない。  あなたが言っていることは分かったが、あなたがそう言っている根拠となる「最古層の経典」とは、何という経典なのか、と。  それについての概略を少しばかり説明しておこう。...

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真実の仏陀 序章

  世の中には、多くの異なった種類の仏教が存在している。  そこには、経典ごとに異なった教えが説かれているだけではなく、原始仏教聖典においては、同じ経典においても、異なった教えが混在したりもする。...

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仏教と利他について

  人は、特定の他者の言動を気にすれば苦しむ。  究極に言えば、そういうことだと思う。  特定の他者の言動を気にする、ということは、その根源を深く掘り下げていくなら、それは、他者を(自らが正しいという)自らの「ものさし」をもって変革させようとすることにあるのだと思う。...

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第14章 仏教哲学用語の成立時期について

    一般的に、仏教で説かれる「中道」や「八正道」、「四諦」、「十二支縁起説」などといった仏教哲学用語は、仏教の開祖であるゴータマ・ブッダによって説かれたということになっている。  ところが、中村元氏は、「中道」や「八正道」、「四諦」、「十二支縁起説」の成立時期について興味深いことを言っている。 それについて重要であると考えられる箇所を『中村元選集』から(四か所続けて)引用してみようと思う。(以下...

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第18章 「アーサヴァの滅」について

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第19章 「想いからの解脱」について

  ゴータマ・ブッダが目指したのは、今生の生存を最後に「二度と生を受けないこと」であった。 言い換えれば、「不死、すなわち、二度と生まれない」ことだった。 そして、そのことは、当時の沙門たちの間では、「輪廻からの解脱」と呼ばれていた。 「輪廻からの解脱」とは、永劫回帰する(死を繰り返す)輪廻転生から脱却する「苦の終滅」を意味する総括的な呼称である。...

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針と棘

   少し前に、RADWIMPS(ラッドウィンプス)というアーティストが「×と○と罪と」というNEW ALBUMを出した。そのCDのいちばん最後に「針と棘」という曲が収録されている。作詞・作曲、野田洋二郎。 この仏教ブログで、一体どうしてRADWIMPSの曲の記事を書くのかといえば、それは、今言ったRADWIMPSの「針と棘」という曲が、仏教の根本の一つを語っている言葉だと思うからだ。...

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